⑤【漫画ブログ】精神科に強制入院させられた14歳の少女が隔離病棟で体験した1年間の地獄とは?

漫画ブログ精神科に強制入院させられた14歳の少女が隔離病棟で体験した1年間の地獄とは? 【漫画解説】発達障害体験談

精神科の病院に診察にいくことになったきっかけとは?

いつの間にかバセドウ病を発症していた私ですが、前回の④バセドウ病の発症の通り、病気だとは気づかずそのままにしていました。

中学二年生の中頃にもなると、バセドウ病を放置していたのでとても体調が悪くなり、さらに私の、「夜眠くても寝付けない、朝起きられない」という体質もあり昼夜逆転生活を送ってぼんやり過ごしていました。当然学校には通えていません。

両親は困り果てて近くの精神科に私を連れて行ったのですが、睡眠薬を処方されただけで特に何の診断もされず、当然睡眠薬を飲んでも生活や体調不良は改善しませんでした。

そこで両親が私を連れていくことにしたのが、思春期外来のある精神科総合病院N病院でした。2002年3月の出来事でした。

精神科の診察に行くとこになったきっかけとは?

漫画の通り建物は新しくて綺麗でした。しかし外来など自由に出入りできるところは少なく、人もまばらでどこか寒々しい雰囲気を感じました。建物の大半が関係者以外は入ることのできない入院施設で、そのどこかからいつも叫び声がしていました。

精神科で診断を受けてバセドウ病と診断された

そんなこんなで私はN病院に入ってすぐ恐怖を感じていました。しかしそうもいってられず診察を受けることになります。

精神科で診察を受けてバセドウ病のと診察された
精神科で診察を受けてバセドウ病のと診察されたその2

ここで幸いにもバセドウ病が判明することになりました。バセドウ病を見つけてくれるなんて良い医者な面もあるのかもしれませんが、この医者は思春期外来で子どもを診察するにも関わらず、全く発達障害を診察できず(そもそも発達障害を信じていなかった可能性)後に誤診で私を苦しめることになります。

※バセドウ病の症状には目が飛び出たように見えるものがあります。

バセドウ病で精神科に緊急入院することに

病院で検査を受けてから自宅で検査結果を待っていたら、病院から突然直ちに入院するようにと連絡がありました。

たしかにバセドウ病では2週間~4週間ほど入院しなければいけないケースがあるのですが、私は期日も不明確なまま病院に連れていかれることになります。
そして私が入院させられた真の目的は、バセドウ病の治療ではないことが後に分かるのです。

病院からの電話で急に入院が決まった私ですが、人権軽視の精神病院の不条理に巻き込まれていきます。

バセドウ病の14歳少女が精神科病院の閉鎖病棟に強制入院させられた理由とは?

バセドウ病の14歳少女が精神科病院の閉鎖病棟に強制入院させられた理由とは?

閉鎖病棟とは本来 自傷、他害の危険がある人、または自ら望んだ人などが入院する場所です。

しかし、私は泣いて騒いだという理由だけで医者の一言で閉鎖病棟への入院を決められてしまったのです。
(私は断じてそれまでリストカットなどの自傷をしたことはありません)

閉鎖病棟に強制入院させられて感じたこと

まるで懲罰的に閉鎖病棟に入れられた私は、嫌なことや納得できないことがあっても、暴れない、騒がない、模範的な患者として過ごすことを誓います。

そうすればきっと数週間で退院できると思っていたのでした。

「発達障害ではない」と誤診される

理不尽な流れで閉鎖病棟入院となった私でしたが、N病院は大型の総合精神病院、私はそこで様々な検査をすることになりました。

「発達障害ではない」と誤診される

詳しくは覚えていないのですが、CTや脳波検査など高額な機械を使用した物から、心理検査の類まで色々やりました。WAIS(発達障害の診断の参考になる検査)もやった気がします。

しかし、結果は「何の障害もない」というものでした。

私はこのことがあり、それから、自分は何だかおかしいし生きづらいという思いを強烈に感じながらも、発達障害の可能性を考えずに暮すことになります。

しかし色々限界となり、この診断から10年以上過ぎた28歳で、県外の発達障害専門病院にて、ついに様々な二次障害を抱えた発達障害であると診断されることができました。

私は発達障害の診断をおおむね正しいし、診断のおかげで自己理解が進んできたと思っています。なによりも発達障害ADHD)用の投薬により、夜眠くても眠れない、朝起きられない体質が大幅に改善しました。

だからこそN病院の「何の障害もない」は全くの誤診だと思っているのですが、そもそも、今思えば、入院病棟にいる小児患者で、発達障害と診断を受けている人は全くいませんでした。(私からすれば、もしかして発達障害とその二次障害だったのではないかと思える人もいました。)
また入院する前に母が、私は発達障害の可能性があるのではないかと尋ねたことがあるそうなのですが、私のことを良くも知らないくせに「そんなことで発達障害なわけがない」
と言っていたそうなのです。
そして、心理テストなどの結果は私や母に返ってくることはありませんでした。

ここから考えてそもそもN病院の医者は、検査はしても発達障害の診断を下すつもりがなかったのではないかと思えてしまうのです。

当時は15年近く前、まだ一般には発達障害のことが多くは知られていない時代でしたが、小児を担当する医者には知られつつあったのではないかと思います。
それを踏まえても N病院の医者は思春期外来や精神科の小児病棟を担当するものとしてあまりにひどいのではないかと思ってしまいます。

精神科隔離病棟での地獄の入院生活

訳も分からない状況のまま閉鎖病棟に入院させられてしまった私ですが、その中での生活を描きます。

精神科隔離病棟での地獄の入院生活

閉鎖病棟に入院中は何かするでもなくぼんやり過ごし、バセドウ病の投薬だけ受けていました。

そして、バセドウ病の症状も薬のおかげで落ち着きはじめた2週間後、ついに私は解放病棟に出られることになります。

精神科隔離病棟から脱出に成功!解放病棟での悲惨な現実とは?

精神科隔離病棟から脱出に成功!解放病棟での悲惨な現実とは?

しかし、解放病棟は思ったほど自由な場所ではなく、私はこれからますます辛い思いをすることになります。

解放病棟で私の入れられた病室は四人部屋で、廊下からの出入りは自由です。毎日9時に消灯でした。
今思うと発達障害で感覚過敏の私にはまったく休まらない環境だったのではないかと思います。
まず個室ではなく四人部屋でいつも人の気配がしていました。私は他人の気配がするのがとても苦手した。(多分発達障害の影響です)
そして、廊下からの出入りは自由で、どんな患者さんが入ってくるのか予想がつきませんでした。
また、廊下からは、患者さん同士の喧嘩の音や、叫び声が聞こえてくることもありました。そして夜も更けやっとリラックスできるかなという時間になると容赦なく消灯されるのでした。

短期間の入院ならば多少休まらないところでも良い気がしますが、一年間この環境におかれた私はどんどん消耗していったのだと思います。

私のような発達障害の人には、人の気配を気にせず一人でリラックスできる、時間と場所が必要なのです。

模範的な患者として過ごすことにより二週間で解放病棟に出られた私でしたが、閉じ込められていないことに喜ぶのもつかの間、解放病棟でも嫌な目に会うことになります。

私はこの漫画とブログで、私の発達障害の特徴、発達障害により引き起こされた困難、誤解を書いており、不適切な診療による閉鎖病棟への入院や苦痛を書いていますが、すべての精神病院が不適切な入院をさせたり、不適切な扱いにより患者に苦痛を与えていると言いたいわけではないということを知っておいてください。入院などの治療も症状によっては必要な場合があります。

精神科隔離病棟から脱出に成功!解放病棟での悲惨な現実とは?その2

大を流していない患者さんにも事情はあったのでしょうが、トイレには一日何回も行くので、そのたびに流されていないトイレを見るのはなかなかに苦痛でした。
また、閉じこもり防止のためなのかトイレの扉には鍵がなく、用を足している時いきなり開けられる心配もありました。
そして手洗い場には石鹸やハンドソープなどの衛生用品が一切置いていませんでした。(これは誤食防止のためらしい)

精神科隔離病棟から脱出に成功!解放病棟での悲惨な現実とは?その3

本来楽しみな時間になるはずの食事の時間も苦痛でした。
解放病棟で良好な患者はホールに集まって食べることになっていたのですが、私はそもそも人といるのが苦手、30人もの患者が集まって食べる食事の時間はとても疲れるのです。
おまけにけんかがいつ始まるか分からず、いつも不安でした。
そのため、出された食事にはちょっとしか手を付けず、すぐに部屋に戻って一人で(同部屋の患者さんはまだホールにいるため)ほっと一息つくのが習慣になっていました。
今では食事にもったいないことをしたと思っていますが、その時の私にはそうするほかなかったのです。

このように普通に生活するにもいろいろ苦痛があり、私はいち早く退院したいと思っていました。

解放病棟に移動できた私ですが、解放病棟もさほど自由な場所ではなく、それどころか集団生活が苦手な私は大変疲弊していきます。

バセドウ病が改善しても14歳の少女が精神科病院から退院させてもらえなかった衝撃の理由とは?

バセドウ病が改善しても14歳の少女が精神科病院から退院させてもらえなかった衝撃の理由とは?

緊急入院となってから3週間ほどが経っていました。バセドウ病の症状は投薬治療で落ち着きつつあり、私はそろそろ退院できるのではないか…と思ったのですが、病院側からは具体的な退院等の話はありませんでした。

そこで私は思い切って面談時に退院の話をしてみることにします。

バセドウ病が改善しても14歳の少女が精神科病院から退院させてもらえなかった衝撃の理由とは?その2

なんと、不登校の患者さんは退院できないと言われてしまうのです。

最初はバセドウ病をよくするための入院という話だった気がするのだが、いつの間にか不登校を矯正するための入院という話にすり替わってしまったのである。
この一連の流れで、私は、入院も入院継続することもとても嫌がっていたにも関わらず、両親は医者の言うことだけを聞き続けました。今思えば仕方なかったのかもしれませんが、この両親の対応が結果的に私のPTSDを深めたのです。

今思えばN病院とあのN病院の医者は不登校児を矯正するための悪質な引き出し屋のような機関だったように思えます。
体の病気だと焦らせて入院させて(私のバセドウ病の症状でそこまで焦って入院させる必要があったのか疑問。もし、悪化したら精神病院では扱えなくなる危険もあるしなぜN病院に緊急入院させたのか?)そのまま、不登校だから退院できませんとするのは、精神病院の役割なのでしょうか?未だに納得できません。
そして、入院はただ軟禁状態で自由を制限するためだけに行われ、障害を発見して上手くいくよう調整したり、カウンセリングなどの心理療法でなぜ学校に行けないのかについて調べたり、サポートしてもらうようなことは一切行われませんでした。


※引き出し屋 引きこもりの人を無理やり連れ出して、劣悪な環境に軟禁し低賃金で働かせたりする業者。

前回医師に退院時期を尋ねたところ、不登校の患者さんは退院できないと言われて、絶望に打ちひしがれてしまいます。

バセドウ病が改善しても14歳の少女が精神科病院から退院させてもらえなかった衝撃の理由とは?その3

泣いて暴れたい気分でいっぱいになりましたが、そうなれば必ず閉鎖病棟へ連れていかれると思い、病室に戻った後一人で泣きました。

今でこそ、バセドウ病の治療のはずが不登校の矯正に入院目的が変わっている事。懲罰的な閉鎖病棟への入院は違法だということ。そもそも障害や精神病の治療なしに、学校に通わせるためだけに入院を継続させるのはおかしいのではないかなど、言葉で反抗できるのですが、まだ14歳の私には到底無理でした。

そして、私は医者に言われた院内学級に通学することとなります。

強制入院させられている精神科病院と廊下で繋がれた学校での生活とは?

強制入院させられている精神科病院と廊下で繋がれた学校での生活とは?

学校には病院の敷地を出ずに通えるようになっており、私は「なんか刑務所みたい…」と思いました。

担任は中年の男の先生でした。担任以外の先生も紹介されました。そして「不安だったら言ってね」など優しい声をかけてもらいました。
病棟では、あの医者が頂点におり、その忠実な実行役として看護師がいるという感じで、看護師からほほとんど優しい言葉などかけてもらっていなかったので、ここにきて久々に人間扱いされた気がしました。

強制入院させられている精神科病院と廊下で繋がれた学校での生活とは?その2

私の通うこととなった学校は、地域の養護学校の分校でした。通っている生徒は、私のような境遇で精神病棟から通っている生徒と、近くの自宅から通っている軽度の障害のある生徒の二つのパターンがありました。

生徒は合計6名程度(1年間で変動あり)のごく少人数でした。
授業時間は普通の中学校と同じでしたが、中学3年生は私しかいなかったこともあり、マンツーマンで私のペースに合わせた授業をしてくれました。
友達はできませんでしたが、先生と話しているほうが楽しかったのを覚えています。

私は、集団が苦手なので、多くの患者がおり、トラブルもたびたび起こる病棟より、学校のほうが居心地がいいと思っていました。

14歳の少女が見た!精神病棟内の恐怖の支配構造とは?

当時のN病院の小児精神病棟には、閉鎖病棟、解放病棟合わせて50人ほどの患者が居ました。
そしてそのほとんどの患者を、私を閉鎖病棟に入院させた医者が担当していました。
実はもう一人精神科医がいたのですが、高齢の医者でごく少数の患者のみの担当でした。

そうすると、実質的には病棟の権力は、私を閉鎖病棟に入院させた医者一人に集中していました。

14歳の少女が見た!精神病棟内の恐怖の支配構造とは?

そして、患者の自由を奪うことのできる入院精神科医療の特性のため、暗に医者に逆らうと閉じ込められるという、絶対的な支配構造が形成されていたのです。

とはいえ大半の患者たちは比較的平穏に解放病棟にて生活していました。

それは、比較的軽度な患者が多く、私のように一度閉鎖病棟に送られて懲りたあと、感情が何とかコントロールできる程度の病状のために、もう医者に逆らわない患者が多かったことによると思います。

14歳の少女が見た!精神病棟内の恐怖の支配構造とは?その2

感情をコントロールできない患者や、重度の患者がたびたび閉鎖病棟や※保護室に連れていかれるのを見ながら、感情が何とかコントロールできる穏やかな患者たちは、逆らったり暴れたりするとああして閉じ込められるんだという、漠然とした無力感を感じて日々を過ごしていくのでした。

※保護室 ベッドや便器のみがある個室で、患者が中から出られないようになっている。暴れたり、自殺企図した患者が入れられ、身体拘束されることもある。

14歳の少女が精神科病棟では疲労感を癒すことができなかった理由とは?

14歳の少女が精神科病棟では疲労感を癒すことができなかった理由とは?

学校のほうが居心地がいいとはいえ、学校で勉強やスポーツをすれば当然疲れます。

そしてそれを終えても、帰るのは気の休まらない病棟。
本来学校から帰ったら好きなことをしてストレス発散したり、疲れを癒して明日に備えるべきはずですが、私は、好きなこともできず、疲れをいやすこともほとんどできませんでした。

今思うと発達障害で感覚過敏の私が休めないのは当然でした。
私が入院していたのは四人部屋で、当然いつも他の人の気配がしていました。
私は感覚の過敏さから、他人の気配がするのがとても苦手した。
そして、廊下からの出入りは自由で、どんな患者さんが入ってくるのか予想がつきません。
また、廊下からは、患者さん同士の喧嘩の音や、叫び声が聞こえてくることもありました。

このため私は病室のベッド(唯一のプライベート空間)でじっとしていても、疲れを癒すことはほとんどできませんでした。
本当は私のような発達障害の人には、人の気配を気にせず一人でリラックスできる、時間と場所が必要だったのです。

そして、私は発達障害に良くある特性として睡眠にも問題を抱えていました。
入院してから昼夜逆転こそ治ってはいたものの、私はもともと、夜眠くてもなかなか寝付けず、かつ眠りが浅く、寝起きが非常に悪いのです。
病棟は9時に消灯でしたが、当然すんなり寝付けるわけもなく、遅くにやっと寝付けたと思ったら、まだ睡眠時間が足りないのに6時の点灯で強制的に目覚めさせられるので、当然慢性的な睡眠不足となります。私は睡眠でも疲れを取るのが困難だったのです。

これらの事情により、時間が経つごとに当然私はどんどん疲弊していきました。そうすると、学校に通うのもつらくなってくるのですが、極めつけに、病棟のルールとして、疲れなんていうあいまいな理由で学校は絶対休めなかったのです。

私は、疲労が限界近くになり、学校を休んで寝ていたいと看護師に訴えましたが、了解されることはありませんでした。
だからといって、もしも激しく逆らえばまた閉鎖病棟に入れられるかもしれなかったので、最後には私は限界を無視して学校に通うしかなかったのです。

そして、私のストレスと疲れは無限に溜まり、ついには心身を蝕み始めます。

精神科に強制入院させられた14歳少女の限界を超えてしまったときに発症した悲惨な症状とは?

長引く強制的な入院生活で、私はストレスも疲労も解消できなくなっていました。
限界を超えた私は、ついに心身に異変をきたします。

精神科に強制入院させられた14歳少女の限界を超えてしまったときに発症した悲惨な症状とは?

とても表現が難しいのですが、私は、疲れが取れなくて悲鳴を上げ続ける体と、心の接続を切り離したのです。
切り離すことによって、一人静かな所でゆっくり休みたいという、体からの不快信号を無視できるようになりました。そうして休むこともストレス解消することもできない入院生活をそのまま維持できるようになるしかなかったのです。

それは、今思うと逃げ場のないストレスにさらされた時に起こる、「解離」という症状の一種でした。

精神科に強制入院させられた14歳少女の限界を超えてしまったときに発症した悲惨な症状とは?その2

しかし、精神面では、現実感をなくし、空想の世界に浸るようになります。
(もともと発達障害の特性により空想好きではありましたが、その頃からどっぷりと空想の世界に浸るようになりました。)

そして、なぜかいつもとても虚しく、焦燥感を感じ続けるようになりました。

さらに、切り離された体の感覚について、全く無視できるようになったわけではなく、どこか遠くから悲鳴のように聞こえてきて私の頭を悩ませるようになりました。

自分の精神が、精神病院入院のストレスに支配されていることに気づいたのは、10年以上経って発達障害専門医に、精神病院入院が原因でPTSDになっていると指摘された瞬間からでした。
その瞬間、私はストレスによって精神までも変質していたことに気づいたのです。
そしてカウンセリング何度も受け、解離が解けたからこそ、解離していた時の異常な感覚について表現することができるようになったのです。

14歳少女の限界を超えて発症してしまったPTSDがもたらした更なる悲劇とは?

長引く強制的な入院生活で逃げ場のないストレスにさらされ続け、解離を起こした私は、さらなる精神の異常を起こし始めます。

14歳少女の限界を超えて発症してしまったPTSDがもたらした更なる悲劇とは?

それは、強烈な希死念慮でした。
入院する前まで、発達障害でいろいろ上手くいかなくて不登校になったりした私でしたが、別に死にたいとは思っていませんでした。
不登校でしたが大好きなゲームをしたり、絵を描いたりしてそれなりに楽しく暮らしていたのです。

しかし、入院して3~4か月経ったころから、急に「死にたい」という思いがうかんできてそれに囚われるようになります。

14歳少女の限界を超えて発症してしまったPTSDがもたらした更なる悲劇とは?その2

解離を起こしたことには気付かなかった私ですが、さすがにこれはおかしいと思いました。
そして、原因は強制的に入院生活をさせられているせいだということははっきりと分かりました。

しかしあの医者に、強制入院させられたせいで死にたくなったなどと言ったら、絶対に良い風にはならず、ますます状況が悪くなることが分かり切っていました。直接言わなくても、死にたくなったなどと知られたら、きっとまた閉鎖病棟に入れられるとしか思えませんでした。

死にたい」という思いがうかんできてそれに囚われるようになった私は、 母親が来た時に、家に持って帰る古雑誌の中に「入院がこれ以上続くなら死にたい、早く退院させてほしい」という旨の手紙を混ぜ込ませました。
古雑誌はそのまま捨ててもらう予定だったので、捨てるために分別するときに気づいてもらえると思ったのです。
しかし、いつまで待ってもその返事が来ることはありませんでした。
本当に気付かなかったのかもしれません。
しかし私の、必死の両親へのSOSは無視されてしまったのです。

そして恐ろしいことに、ここで発生した希死念慮は入院期間を満了して退院したあとも、消えることなく、ずっと私を支配し続けました。

そして私に自殺行動をさせ続けました。後に10年以上後、発達障害専門医に助けを求めて受診する時には、私の希死念慮は日常の一部となっており、私の人生において消えるなどありえないと思えるものになっていました。

慢性的なストレスを繰り返し受けてPTSDを発症した人は、解離状態になりやすいとともに希死念慮を抱くことが多いそうです。

当時は「強制入院させられたせいで死にたくなった!」としか思いませんでしたが、今思えば強制的な入院生活でPTSDを発症したために起こった変化なのだと納得できるようになりました。

そして今ではPTSDの原因を特定しカウンセリング等の治療を受けたことにより、10年以上持ち続けたその希死念慮をかなり消すことができたのです。

14歳少女を長年苦した「我慢すれば幸せになれる」という言葉の真実とは?

逃げ場のない状況でストレスに晒され続けた私は、精神に異変をきたしPTSDを発症するとともに、ある思想に救いを求め始めます。

14歳少女を長年苦した「我慢すれば幸せになれる」という言葉の真実とは?

それは、入院してからたびたび母親が言っていた「耐えれば幸せになれる」です。

たびたび聞かされ続けて、深層心理に刻み込まれていたのでしょう。
私は、その頃から、耐えていればいつか途方もない幸せがやってくる、という空想に浸るようになります。

14歳少女が追い込まれて見た幻想とは?

そして、今こんなに耐えているのだからいつか必ず幸せになれるのだという、今考えれば何の合理性もない思い込みで辛い日々をやり過ごすようになるのです。

慢性的なストレスを繰り返し受けてPTSDを発症した場合、それが原因で希死念慮が起こるということを書きましたが、反面、現実的でない「救われる」という思い込みも、そのようなPTSD発症者の多くが抱くことのようです。

精神科に強制入院させられた14歳少女を襲った「加害恐怖」という更なる障害とは?

入院してから、半年以上経ち、季節は冬になりました。もう少し我慢していれば中学卒業とともに退院できる時期が迫りつつあった頃です。

私はさらなる精神の異変を感じるようになりました。

精神科に強制入院させられた14歳少女を襲った「加害恐怖」という更なる障害とは?

その頃は学校がない休日は外泊していることが多かったのですが、ショッピングモールなどでガラスなど綺麗で壊れやすい物を見ると、突然壊してしまう想像が頭に浮かび、実行してしまうのではないかと不安になってしまうというものでした。

精神科に強制入院させられた14歳少女を襲った「加害恐怖」という更なる障害とは?その2

物だけならともかく、人相手にも加害の想像が浮かんでしまうので困りました。

正式な診断を受けていないのではっきりとは言えませんが、強迫性障害加害恐怖を発症していたようです。
加害恐怖は自分が加害者になったのではないか、またはこれから加害するのではないかという不快な想像が頭から離れなくなる病気で、一見恐ろしいのですが、どちらかというと心配症で実際に加害をしたりは到底しない人がなることが多いようです。

ちなみに加害恐怖の症状は、他の解離や希死念慮と違い、退院してしばらくしたら収まりました。
これも、強制的に入院させられているストレスが、うまく処理できないために起こった症状のようです。

強制的な入院が引き起こした精神の異常についてまとめ

強制的な精神病院での入院生活でで私に起こったさまざまな異常について書きました。

今思えばどれも、逃げ場のないストレスがもたらした引き起こしたことのようです。それらが重複して、私は複雑で厄介な内面を抱えるようになっていきます。

強制的な入院が引き起こした精神の異常についてまとめ

まず解離を起こし、現実感をなくし空想に浸るようになりました。
また、解離は私を逃げ場のない現実から守る反面、様々な不調をもたらしました。
それは、なぜかいつも心がとても虚しく焦燥感を感じるようになったことと、体の疲れが分かりにくくなった半面、体の奥底からいつも違和感が湧き出てくるようになったことなどでした。

またPTSDを発症し、いつも希死念慮を感じるようになりました。

そして、耐えていれば必ず途方もない幸せがやってきて報われるという、合理的でない夢のような思想に傾倒するようになりました。

これらにより私は、いつも空想して、夢のような幸せを心に描いているけれども、なぜかいつも虚しく、いつも死にたいという、大変複雑な内面を抱えることになったのでした。

しかし、表面的には普通に入院生活を過ごしていたため、それらの異変が誰かに気付かれることはありませんでした。(医者はめったに病棟に診察に来ませんでした。そもそも発達障害すら気付かなかった医者が、患者が、自ら強制入院させたせいでPTSDを発症するなど、理解できなかっただろうし、認めることもなかったと思います)

それどころか、周りの大人たちは、かえって扱いやすくなったと、私の表面だけを見て思ったのです。

強制的な入院が引き起こした精神の異常についてまとめ その2

このため、私のPTSDを主とした異常は全く気付かれず、また自分でもよくわからずにいたため、そのままにされ、私はその後、高校、大学、就職と異常を抱えたまま進むことになるのです。

しかしPTSDを抱えて、耐えれば幸せになれると思い込んで無理をし続ける生き方は、長くは続かずやがて破滅をもたらすのです。

ここまで見ていただきありがとうございました。次回は【漫画ブログ】地獄のような精神病棟からの退院と残された心の傷とは?です。

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